第6感と性格

人の性格って後天的な要素のほうが強くて、育て方とかによって性格はだいぶ違うのかな、って思っていたけど、ジュニアをみていると「遺伝する生まれつきの性格・個性」って確実にあるな、って思う。
ジュニアは保育園で、「みんなでわいわい絵本を読む」軍団の中に入るでもなく、「外に出て元気よく遊ぶ」でもなく、「黙々とモビールを揺らしたり、ボトルキャップを穴にはめる遊びをしたりしている」、らしいんだけど、その行動とかまさに俺の子供時代と同じ。

最近はなぜか扇風機が大好きで、しゃべりだしている数少ない言葉のラインナップが、
「ぱいぱい(乳)」「まんま(めし)」「わんわん(犬・オットセイ)」「はっぱ(植物)」「くっく(靴・外出)」「だいちゃん(カメ)」「せんぷうき」って感じで、
「とーちゃん」も「かーちゃん」も覚えていないのに、生まれて7語目に覚えた言葉が「扇風機」かよ、って個性。
なんだか将来有望だな、って思う。


そんな風に、俺によく似た性格の子供を見ながら、昔のことを思い出したり、ジュニアの心境を想像したりしている日々なんだけど
「こどもは、見える、きこえる、さわる、そのほかすべての感覚が、はじめての体験なので、ものを見るときも、実は目だけでは見てない。」
ってことを念頭において観察していると、第6感や共感覚的なところが理解されてきて面白い。


たとえば、夜。寝るときに電気を消してほとんど暗闇の中で寝かしつけるんだけど、電気をけしたとたんにジュニアは6畳の部屋をフルにつかってゴロゴロゴロゴロと転がりだす。寝付けなくて、ねがえりをうっているんだけど、たぶんそれだけじゃなくて、暗くて見えない視力を補うために、部屋空間を転がって触覚で把握しているんだと思う。

おもちゃとかも、手渡しすると、とりあえず口に入れておしゃぶりすることで、そのものがなんなのか把握する助けになっているんだと思うし、俺や妻に抱きついてスキンシップを求めているのも、愛すべき保護者の存在、ってのもあるとは思うけど、視力も聴力も弱いので、見るだけ、聞くだけじゃ、コミュニケーションが全然たりなくて、触覚で補っているんだと思う。


そんな生まれ持った個性や、全身をつかって世界を把握しようとしているさまをみていると、なんだか、親が、思い通りに子供を育てるのなんてほとんど不可能だな、とかおもう。できることって、食事をさせて遊んでちょっとしつけをするくらい。
子供は、こどもそのものが持つ「育つ力」で育っているので、親は、曲がらないように見守ることくらいしかできないんだなっておもう。
ただ、「スポーツが苦手な親からスパルタ式でプロ級スポーツマンを育てる」的なことなんてほとんど不可能に近いんだろうけど、可能性は無限な気もするので、いいところをいっぱい伸ばしていけたらいいな、なんて思う。