ゆるぎなさ

4月の頭から、ジュニアが認可保育園に通いだした。当初悲しそうな目で泣かれながら見送っていたのが、今朝はニコニコしながら先生に抱かれ、俺そっちのけで遊びだす。
なんだか先生に軽く嫉妬しつつ、でも、保育園生活に馴れてくれたみたいで、成長っぷりに感心する。地震やら原発やら大変だけど、たくましく育て〜。


それにしても、この地震やら原発やらの不安の中、ふと思ったのは、「感情と気持ちのゆらぎなさ」だ。
次々に新事実が露見されてこわれていく信頼と安全。政府発表に、安心したり不安になったり一喜一憂・・・ってかんじなはずなんだけど。
でもみんな意外と一喜一憂してない。

恐がりな人は、最初から今までずっと恐がっているし、恐くないひとはレベル7とか言われた今でもそんなに恐がってない。
恐がって「どうしよう恐いよう」って言ってる人に、いくら事実を積み重ねて説明しても「そうなの?安全なの?でも恐い!!」としかならないのだ。
告白済みの片思いの相手に「俺とつきあったらXXだしXXだしXXだしメリットいっぱいだよ!付き合わない理由なんてないじゃん?!」って説明をつくしても、「でも好きじゃないしムリ!」ってのと同じ。
「気持ち」は、わりとゆるぎなくて動かしにくい。


「恐がっていたり」「嫌われていたり」とかの、気持ちや感情をなんとか変えさせたい時は、説明をつくすのではなく、行動を変えさせるといいようだ。
「俺のことを好きになって!」と言われてもムリなものはムリなんだけど、「俺と映画に行こうよ」だったら、大丈夫っていう。

まぁそれもなんだか難しいけど。