育ちと肩書きと新東京銀行

東京銀行不正融資問題のニュースを見てたら
「さすが石原知事の子。こういうガメついオラオラな血筋なのかね笑」
とかちらりと思ってしまった。そう思い返してみると、ここ最近ニュースとか見てる時、たまになにかの原因を『血筋』や『育ち』に求めてしまっていた自分に驚いた。

「あんな事するなんてねぇ・・・やっぱ育ちってあるのかしら」
「あんな両親の子だものねぇ。血筋は争えないわぁ」
「お前、いい奴だけど、お前の家族見てると正直信用できない奴だな。」
「ロクデナシの子はやっぱりロクデナシだな」
「あんな犯罪者が身内にいるコイツも同じようなもんなんだろうか。クビにしたほうがいいかな。」
「やっぱ三国人はヤバいな」

現実世界での大人の行動は、基本的にすべて自己責任であるべき。親が気に食わないから子供も気に食わない、育ちがor人種がアレだからどうのこうの、っていう偏見は、できるだけ避けるべき。*1
子供とかならならまだしも『私たち両親の教育が間違ってました!』って、30過ぎた犯罪者の両親がインタビューされているのとかって、なんか滑稽だ。実際、もう10何年も会ってない親子とかだったりするし。
まあ、東京オリンピックに反対なので石原知事がそんなに好きじゃないからついそんな風に思っちゃっただけなんだけどさ。でも、オトナだし関係ないよな。

*1:あと、大学生の犯罪とかで、大学側が謝罪してるのとかも意味不明だ。もうオトナなんだから自己責任で無関係です、とズバっと言えばいいのに。