ありのままの自分症候群

10年ちょっと昔、母親がボランティアかなんかで「お見合いサービス」みたいのの手伝いをしていたことがありました。おばさんって仲人とか好きだしね。で、その関連でいろんな人のプロフィール写真をひやかしで見せてもらったりしたんですが、「あぁ・・・」って感じで色々衝撃的だったのを覚えています。
「嫁を亡くしてしまったので家事をしてくれる女性を募集します。当方年金暮らしアパート住まい65歳。若い女性を希望します」という釣書。男女平等教育を受け、「男も家事とか手伝わないとねぇー」ってのがカッコイイとされつつ「でも男はお金をもってないと!」という風に洗脳されたマガジンハウス世代の男子としては、「そんなんで嫁にくる奴いねぇだろ」てな具合のあまりにストレートな旧世代老人の要望にタジタジ。
写真はさらにすごい。スナップ写真に大きく写っているのは、マイカー。その隣に立っている人が本人ですか?顔2ミリくらいしか写って無いんですけど。他も、他にも30歳にして高校の制服の写真とか(それ以降写真なんて撮ってなかったんだろうね)が満載。
シャツin、ハイウエスト、寸足らずパンツはあたりまえ。男は見た目じゃないしさ、とフォローを入れようとも思うけど、一応「見合い写真」なんだしさー。もうちょっとプレゼンしたほうがいいんじゃない?そんなに「ありのままの自分」を愛して欲しいんだろうか、独身にも理由ってあるんだなぁ、と思ったのでした*1

上記見合いに限らず、今でも「ありのままの自分を愛して欲しい」って人って結構居るけど。「ありのままの自分を愛して欲しい」がゆえに、ダサい格好を変えもせず、あえて異性に暴言を吐く。それでもついてきてくれるのが本当の愛だ、と思うんだろうか。
気持ちはわかるけど、おしゃれでカッコイイ男と、ダサくてもさっとしている男。「イケメンは性格が悪いはずだ!」って迷信もあるけど、実際に性格を比べてみると、どっちが性格がいいかどうかは「わからない」が正解。ならばより魅力のあるほうを選んでしまうのは「しょうがない」。だからいくぶんマシな写真をえらんだり、いくぶんマシな服を選ぶわけで。
しかも見た目と釣書がすべての見合いともなれば、ちょっとくらい服なり写真なり選ぼうよ、とも思っちゃうわけです。プレゼンってやっぱし大事。ありのままの自分なんて、そんなにたいしたもんじゃないのにね。

*1:ただ、実際その当時はまだデジカメとかも復旧してなくて、写真って「気をつけして玄関で撮影するもの」って時代ではあったので、「証明写真とかより、普段の自分がわかるようなスナップ写真のほうがいいですよ」とアドバイスをしていたせいもあるらしい。